今日からまた更新を続けていきたいと思います。
今日は前回の続きから始めていきます。(とある、子育て、子育ちのコミュニティーでのお話)
子どもとは何ですか?という問いに対する異なる2名の回答です。
Aさん ⇒ 子どもとは…未熟な存在である
Bさん ⇒ 子どもとは…一人ひとり生まれながらに主体的に生きている
Aさんほど断言はしないにしても、Bさんのような回答をする方は少ないのではないかと思います。
子どもの思考力の芽生えとして、6か月で摩擦を感じ、足で遊んだりしている場面があります。(赤ちゃん用のバギーに乗せたときに足の指で棒を触っていたりする、あの動きです)
この動きなんだろ?楽しいな。と主体的に動いているとの先生からの話がありました。
言葉は分からないものの、興味・関心はあるので、こんな子どもたちに対して大人がどのように接していくのか?
・子どもの探究心をくすぐっていく ⇒ 子ども自身が知りたいという気持ちに繋げる
※あえて、すぐに答えを教えたりしなくてよいということ(子ども側が自分なりの感想をもつということも重要なのです)
・他の子と異なる行動をしたときにどのように接していくのか?
※この子は困った子だなどと絶対に言わない。そんな時は子どもが育ちたがっている証拠である。枠に囚われない発想、応用力を持っているということである。
その子自身が、いっぱい(おもいきり)やってこそ、初めてちょうど良いが分かっていく。
自らの体験を通して、感じて、考える環境が重要となっていく。そして想いが工夫に繋がっていく。
大人側は答えをすぐに教えてあげた方が楽である。(こうするのよ、こうしなさい)
しかし、子どものことを考えてあげるのであれば待ってあげる方が良い(おもいきりやって、感じ、考えていく時間を与えてあげる)
※わからないことに秀才ほどぶつかる (なら、あえてぶつからせてあげる余裕を)
さらには失敗から学ばせていく(それに対する補償も大人側が準備しておき、どんどんチャレンジさせていく)
※やってみて、合わないなら、やめれば良い。
(この感覚でどんどんトライし、自分に合うもの、やりたいものを見つけていく)
今後は個性を認めていき、特性を活かすように、そして、知っていることをどう活かすかが重要(知っているだけでは意味がない)と先生が言っていました。
最後に先生のお話で印象に残ったものを紹介致します。
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幼虫のときに空を飛ぶ練習をさせたら立派な蝶になれるのか?
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球根に向かって早く咲きなさいと言わないのはなぜか?
これを子どもに置き換えて考えると、ゾッとします。。
⇒これらは人間の大人が早く答えや成果を欲しがっているだけである
この発想が“早く”“無駄なく”“色んなことを”と望みプレッシャーを与えている。
大人は子どもを“機械”にしたいのか?そんな風に思えてきてしまいました。
大人自身が気持ちに余裕をもち、子どもの考えに寄り添っていく。
そんな風になっていきたい、ならなくてはと思える会でした。次回開催もあるので、また参加したいと思っております。その際は、また情報共有していこうと思います。
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